映画の中の恋人

「恋人」というのは、映画やテレビの中にしかいない存在で、実際にはいない虚空の人間像ということが言えるのではないでしょうか?だいたい「恋人」「恋人」と口にするのだけでも恥ずかしいということはありませんか・・・?

なぜなら映画の中でならいつでも理想の「恋人」にあうことができるということがありますよね。代表的なものがオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」。小森のおばちゃまが、以前好きだった映画だということです。

新聞記者が王女様に恋をするということですが、実際は王女様が恋をした、というイメージですよね。それで、王女様は身分を隠しているわけなんですが、実は私はストーリーは知ってはいても観てはいないわけなんですよ。

そういうことで、何がよかったかというと新聞記者が好きになった相手が王女様でよかったなあ、ということです。そしてもし、反対に素性も人にも言えないようなヘップバーンであったとしたら、あまり映画になる価値はないわけなんですよ。

しかし、現実にはその反対は多いにありえますよね。あって映画にでもなっていればまた、おもしろかったかもしれないですね。そういうことで、映画の中の恋人たちは実にいろいろな変化をさせて楽しむことができるということではないでしょうか?

その中でも、日本で制作された女性の監督のあの茶畠で遊ぶやつ・・・。あれが恋人とは呼べるかどうかわかりませんが、あれも観てはいないのですが、テレビの前評判だけでもインパクトがあった、ということです。

あの場合、舞台を茶畠だけでなくいろいろと置き換えてみる・・ということもできるのでしょうが、もうあれ以上話は進めてみたくはない感じでもあります。

映画の中の恋人であれば、昔のジーン・ケリーさん。ダンスが素晴らしくてNHKでよく放映されていたことがありますよね。そういう場合には、スターの年齢と自分の年齢の差をよく比べてみるものでしたが、子供ごころに結婚できない年齢だとわかるとなんだか諦めがついたものでしたが・・・。